要はアニメとコーヒーって似てないという話。
いつもとちょっと違う切り口で
1つの行為で楽しむもの味わうものと考えて観るという行為飲むという行為。
正確にはもっと多くの感覚を使っているのだが、1つに固定して話すと。
私たちが概念というか見たり飲んだりするためにどれだけの時間と人と手間と工程の多さを経て私たちの前にでてくるのかという点で似ている。
作り手(製作者・生産~焙煎そして淹れる側)より受けて(視聴者・飲む側)が強い【客】。
大半のかなりの好事家でも、いきなりの結果=正解【評価又は感想】しかも一話だけで作品の善し悪しがアニメなら面白さやキャラのキャラの作られ方が気に入ったり気に入らなかったりで評価しがちで早とちりということ。見なくなるのは勝手だがその作品どころかアニメ全体の批評になったりしがちです。
コーヒーで言えば、飲んだ時の最初の感想やファーストテイストの印象で味が好みでなくて苦いからキライにその味=全体になって。
コーヒーの味全部同じ味だと勘違いして嫌いになった人は嫌いなままになってしまう点。
そしてあまりに多くのアニメ作品があり、コーヒー豆(産地や焙煎具合まで)なら多種多様で皆忙しすぎな日常の中で見比べたり味わったりでそんな余裕ないですよね
似ているというか陥りがちだという点。
コーヒーもアニメも好きな人は好きだからのんだり観たりするのだが、複雑だよね迷宮みたいで、キライや苦手で遠ざかっている人に良さを伝えるのはもっと難しく偏見せずまず観る味わうだけでも違うセカイが開けるのにもったいない。日本はコーヒーもアニメも盛んだし日常に溢れすぎているけどそれは好事家がいるからある種のオタクがいるからで、その市場は留まることを知りません.。日本に生まれ住んでてコーヒーとアニメ嫌いはもったいないとゲンさんは思います。
そんな綴り
BYゲンさん